注:本記事は(2021年12月22日)に公開された(Delighting Customers with Data)を翻訳して公開したものです。

Spotifyは毎年末にデータをパッケージ化し、Spotify Wrappedと呼ばれるマーケティングキャンペーンでユーザーに提示しています。Spotifyがユーザーから収集したデータは、ユーザー自身がそのデータの熱心なユーザーであることを示すといった形で還元されています。ここでは、お気に入りのミュージシャンやグループが誰か、といったことだけでなく、自分がどの程度の順位に属しているのか、といったデータも提示されます。例えば、テイラー・スイフトのファンである、ということだけでなく、「上位1%に属するファン」である、ということまで証明できます。この情報は、ソーシャルメディアでの共有に適した魅力的なグラフィック形式でユーザーに送信されます。

具体的な数字が重視されてきたことを考えると、マーケティングやデータ戦略として喜びを取り上げることは直感的には理解にしにくいかもしれませんが、中には、この有効性を証明している企業もあります。

別の例をご紹介すると、英国のスーパーマーケットチェーンであるSainsbury’sは、これまでは同社のNectarユーザーカードを介してカスタマイズされたオファーを提供するだけでしたが、ここに顧客に喜びを与える付加価値を投入しました。あるRedditユーザーは、Sainsbury’sから「あなたは、英国最大のソーセージ入りロールパン購入者です」という手紙を受け取った、という記事を投稿しました。この顧客には、Nectarカードにボーナスポイントが付与されただけでなく、大好きなソーセージ入りロールパン48個が送られました。

人々は、アルゴリズムがはじき出した結果を伝えられるよりも、(その結果がどれだけ有益であるかにかかわらず)このような喜びをもたらす出来事に、より熱心に反応します。では、データがもたらす喜びとはどこにあるのでしょうか。データのやり取りにまつわる顧客の喜びを増大するにはどうしたらよいでしょうか。このアプローチは、Snowflakeのような企業にとって実用的なものでしょうか。このような質問に答えるために、インダストリーソリューション向けプロダクトマーケティングマネージャー、Cassandra Bruniと、ヨーロッパ・中東・アフリカ担当シニアエヴァンジェリスト、Eva Murrayに話を聞きました。

EVA MURRAY

Spotifyの例では、「楽しさ」が大事なのは言うまでもありませんが、おそらくこれは、音楽というものが多くの人にとって喜び、リラクゼーション、楽しさ、おもしろさ、特別なひととき、といったものと関連付けやすいからだと思います。銀行のデータなどにも同じことを感じるかどうかは分かりません。そのため、「楽しさ」は重要なファクターではないと思います。どちらかと言うと、そのデータが持つ個人的なストーリーや呼び起こされる思い出、データに反映されるその1年の振り返り、ではないでしょうか。

Monzo Bankは、視覚的に分かりやすい方法で支出の概要を定期的に発行しており、人々の支出管理をサポートしています。年末にも同様の概要を発行し、クレジットカードやデビットカードの支出データに基づいた、お気に入りのテイクアウト店舗やバケーションの場所といった情報を提供しています。フィットネストラッカーであるStravaも、同様のサービスを提供しており、素晴らしい効果を上げています。ランニングや自転車など、トラッキングを行ったすべての活動を、1年の総まとめとして年末に配信します。これは動画にまとめられており、非常に魅力的なものとなっています。

喜びとは、自分個人に関わるもの

ユーザーと企業間のデータのやり取りは、楽しさというよりもユーザー自身について、またユーザーがデータから得られるメリットについて焦点を当てるべきです。もちろん、そのメリットが「楽しさ」の場合もあれば、感情に訴えるもの(「ここまで達成できた」という達成感)や教育的(「スペイン語の単語を1000覚えた」)なものの場合もあるでしょう。ジムであれ貯蓄であれ、人々の習慣付けやその維持をサポートすることが重要です。もちろん企業側にも、製品をユーザーに密着したものとすることで、アプリや製品、サービスへのユーザーのリピート率が上がるというメリットがあります。

信頼に基づく喜び

ここで重要な点は、行動や相互作用を通じてデータを提供したユーザーは、どのデータをどのように共有するかを自分の意志で選択するものだという点だと、私は考えています。そして、その選択は尊重されるべきです。

データへの健全かつ倫理的なアプローチとは、顧客に関して保持するデータを慎重に検討し、顧客に提供すべき最善のサービスは何かを見極めることです。そして、残りのデータはアーカイブするか削除します。企業は膨大な個人データの収集に長けていますが、実際に使うのは、そのごく一部です。私たちが保持するデータは顧客への最善のサービス提供に必要なものだけであり、この使命に忠実であり続けるために定期的に情報の見直しを行っていることを顧客が知れば、感謝してもらえるのではないでしょうか。

CASSANDRA BRUNI

私の使用している銀行が定期的に送ってくるメールがあります。「あなたはマセラッティ購入の事前審査に合格しました」というメールです。この銀行は、私の口座にいくら入金されているか明確に把握しています。私が本当にマセラッティを購入できると考えているのでしょうか。

喜びに数学は不要

Cookieから収集される顧客データの使用は、間違いなく理想的なやり方ではありません。データの収集はさまざまな場所で実施されていますが、これはすべて、過去の行動は将来の行動の指標となるというコンセプトに基づいているものです。しかし、指が太いせいで携帯画面上の意図しない広告をクリックしてしまう場合もあるでしょう。このクリックは、私が興味を持っていることとは無関係です。これは単に、携帯で間違ってクリックするケースが非常に多いため、高いクリック率となっているだけです。

その一方で、広告の過剰なターゲティングにより、居心地の悪さを感じてしまう場合もあり、一定のラインを超えないよう注意が必要です。人はある程度のプライバシーを欲しており、私としても、サイトの閲覧行動を含めたある程度のプライバシーが尊重されるべきだと考えています。 

コンテキストから生じる喜び

これはある程度、個人により異なります。非常にオープンな人もいれば、そうでない人もいます。私は常々、コンテクスチュアルターゲティングは、インターネットにおける名もなきヒーローのようだと思っていました。これは、多くのTV広告が何年間も実施してきた方法です。原則として、コンテンツのタイプに合わせた広告を表示するというものです。私は料理が大好きで、よく料理に関するブログを読んで新しいレシピを習得しています。また、頻繁に新しい鍋やフライパン、目に付いたキッチンツールを購入しています。そのため、鍋やフライパンの広告がよく表示されますが、私にとって、コンテンツに合致した広告の表示は、常に非常に効果的です。

業界ではサードパーティCookieからの脱却が進み、消費者はプライバシーをより重視する傾向にある中、コンテクスチュアルターゲティングが再び注目を集めています。消費者としての視点から言うと、これは非常に効果的だと思います。

業界が発展していく中、顧客にとって役立つ広告と不安な気持ちにさせる広告の境界線を見極めることが必要となっています。

「喜び」というものがそのガイドラインとなるかもしれません。